日々のコトトカニ

「日々のコトトカ」の二(に)

「日々のコトトカ」の二(に)

憎悪について(模索中)

書き留めておきたい気持ちができたので、少々マイナスな感情寄りの話をば。
あまりインターネットでは「嫌い」なことについて発言しないようにしてきたけれど、最近改めて考える時間を得たことで、いい加減(遅いくらいだけれど)向き合わないといけないのではと思っている、そんな話です。

私は昔から、常に誰かを嫌悪の対象としていた。
それは家族であったり、同級生であったりと色々だ。嫌悪した相手に再び好意を持つことは基本なかったけれど、嫌うことで安堵を得ていた感があったと思う。

嫌われたほうはたまったものじゃないだろうと思いながら、何故か「私に嫌われる程度で相手は傷つかない」と思い込んでいたのだ。多分そういうひとを無意識に選んでいた気がする。
私は言葉で何かをいうタイプではないので、まるで「存在しない」ような扱いをすることが常だった。なんとも陰湿だが、少なくとも相手には私より社交性があったりすることが多いので、私ごときの行動など…と、かなり長い間思っていたし、嫌悪・憎悪は常に私とともにあった。

そして近年、あまりにも性格の内に携帯している憎悪の種袋の存在が、ようやくだけれど恐ろしくなってきているというのが現状なのです。
すべてのひとを好きになろうなどというだいそれたことは考えてはいないけれど、もう今までの人生よりこれからのほうが短い人生を、できれば、できればこの憎悪の種を蒔き育てることなく生きていきたいと思っている。

(ああ、ほんとうに書き留めただけになってしまった…。)