日々のコトトカニ

「日々のコトトカ」の二(に)

「日々のコトトカ」の二(に)

参加者のススメ(模索中)

今年はそれほどではないけれど、昨年は気になるものがあればWSに参加する、といったことを積極的に行っていた。
数ヶ月前、体調を崩す前にもひとつ行ったのだけれど、そこで「あー…もう、つながりとかないところにいきなりとびこむのはやめようかな」と感じて、今は気になるWSがあっても「精神的にしんどいからやめようか」と思ってしまう。コミュニケーション不全極まれりである。泣ける。

ふと今になって、WSの参加者とは何なのかとか考えてみる。
いや参加者は参加者なんだけれど、例えていうならば「お客様」なのか「仲間(となりうるも含む)」なのか。私は多分「お客様」よりの気分で行ったことが多かったので、しんどかったし面白いとも感じられなかったのだろう。かといって「その場にいる」イコール「参加」になるような場でもない、それがWSなのかもしれない。
何を当たり前なことを…と言われそうですが、そう考えるとWSに参加することは向いていないのかなと考え至る。しかし気になることはWSとして展開されていることが多い、そんなジレンマ。

あとWSで主催者と知人の参加者がいる空間がわりと苦痛。
主催が何か困った(とみえる)状況になると、知人との空間をつくってしまう時があるからだ。そこに繋がって擬似的な仲間になることで円滑に進むことが多くあるけれど、なんだろうな…それって会合(WS)の空間づくりを失敗している主催どうなの?と疑念を感じるわけで。参加者が「お客様」ではないとすれば、よりよい空間づくりを心がけるべきとは当然思うのだけれど、安くはない参加費をとっているなかでそういった事に配慮できる能力はある程度主催者は持っていてほしい。
自分が持ち合わせていない能力なので、勝手言っている認識は…ある。

費用の高い・安いの問題でもないとは思うので、やはり私は「お客様」気分だったのだろう、とここまで書いて気づき、反省している。現在進行形で。何故反省しているかといえば、やはり気になることに関しては情報も得たいし、WSにも参加したいからだ。
けれど当分は「お客様」気分をぬぐえないかぎり、参加できそうにないかもしれない…。そんなもやもやを申込参加ページを開きながら思う夜でした。